俳優の宝田明さんが、肺炎のため87歳で亡くなりました。
子どもの頃、地元の映画館では学校の長期休み(春休み、夏休み、冬休み)の
時期には「東宝チャンピオンまつり」と「東映まんがまつり」いう名称で映画
とテレビアニメや特撮番組をまとめて、4‐6本ほど上映していて、映画館の前
で親に料金を払ってもらった後は、一日中、映画館でスクリーンを見ていたと
いう思い出がありますが、東宝チャンピオンまつりの主役は、もちろんゴジラ
映画なわけで、宝田明さんはゴジラ映画のレギュラーのような存在でしたから
宝田明さんが亡くなったというのは、感慨深いものがあります。
ということで、今回は宝田明さんの主演デビュー作の「ゴジラ」の話です。
ストーリーは今更書くまでもなく、度重なる水爆実験によってジュラ紀からの
棲み処を荒らされたことによって怒り狂ったゴジラが、日本に上陸し、東京に
壊滅的な被害を与えたものの、研究者の芹沢博士が研究中に偶然発見した薬品
「オキシジェン・デストロイヤー」によって一瞬に白骨化し、海の藻屑となる
という話で、宝田明さんは南海サルベージという会社の所長役でした。
芹沢大助博士の役は平田昭彦さんが演じて、この作品の中ではオキシジェン・
デストロイヤーの秘密(兵器として転用されることを案じて、全ての関係資料
を焼き捨てた上で、一度限りの約束でゴジラに対して使用)を守るために海中
で自害してしまいますが、キングコング対ゴジラ(1962年)以降の作品では
役名はその都度違いますが、ゴジラ映画に復帰します。
そして宝田明さんも、モスラ(1964年)から、こちらも役名はその都度違い
はありましたが、ゴジラ映画に復帰しています。
「ゴジラ」のコンセプトは、怪獣を前面に押し出してはいますが、世界で唯一
の被爆国である日本(広島、長崎の原子爆弾のみではなく、終戦後にも漁船の
第五福竜丸がビキニ環礁の水爆実験の際に被爆しています)が、世界に対して
反戦、反核を訴えた映画であり、「ゴジラ」の作品中においても核兵器の廃絶
を促す台詞があります。
ただ、ゴジラのアメリカ初公開時には、志村喬さんが演ずる山根恭平博士が
ゴジラの死後に発言した「あのゴジラが最後の一匹とは思えない。もし水爆
実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類が、また世界のどこかへ
現れてくるかもしれない」という台詞もカットされました。
2004年にオリジナル版がアメリカで公開された時には、反核、反戦をテーマ
にしていることについて絶賛されたということで、1954年頃のアメリカ人は
核兵器を保有する自分たちに敗戦国の分際で、という蔑視的な考え方が根底に
あったということなのだと思います。
日本で「ゴジラ」が公開された当時の日本のメディアは、特撮部分については
褒め称えたものの「反戦・反核」を訴えるドラマ部分については全く評価せず
低評価だったということで、日本のメディアは今の時代になってもアメリカの
意向に逆らうことを良しとしない骨抜きのクズなわけですが、その腐敗状態は
戦後10年も経っていない頃から、ずーっと引きずっているようですね。
そういうメディアのヘタレぶりによって、核兵器を共有するべきだなんていう
安倍晋三のバカ発言が出てきていることをメディアは理解するべきだし、その
議論もするべきだと本気で思っている記者がいるとしたら、戦後の日本の状況
を全く理解できていないアホウなので、政治・社会部に置いておくのは間違い
だと、その上司が気付くべきレベルの話です。
というような見方をしてしまうぐらい、ゴジラの製作意図が正しく理解されて
いないような批判をされている部分もありますが、着ぐるみを使って、精密に
造形されたセットを破壊するという日本独自とも言える特撮技術が、その後の
ウルトラマンシリーズに受け継がれ、ヒーローの活躍にワクワクした子供時代
を過ごせたのも「ゴジラ」の製作に関わった人たちのおかげだと思います。
いろいろな意味を含めて「ゴジラ」はやはり日本の特撮映画の原点であり傑作
だったということで、今回の話は終わります。
最後に、宝田明さんのご冥福をお祈りします。安らかにお眠りください。
公開日:1954年
上映時間:97分
製作国:日本
監督:本多猪四郎
主演:宝田明、河内桃子、平田昭彦
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