元ザ・ドリフターズの志村けんさんが、新型コロナウイルスの感染により急逝
してしまったため、山田洋次監督が志村さんのために準備を進めていた映画の
「キネマの神様」の主演俳優がいなくなってしまい、一時は映画製作そのもの
が中止になりそうな話になっていましたが、志村さんと一緒に、けんちゃんと
けんちゃんでコントをしていた沢田研二さんが代役となって、映画が完成して
お客の入りはコロナ禍もあって、よくはありませんでしたが作品の内容自体は
良かったという声が多かったように思います。
ザ・タイガースのボーカリストからソロ歌手に転向して、「勝手にしやがれ」
で日本レコード大賞と日本歌謡大賞を受賞し「TOKIO」や「ストリッパー」等
音楽番組の常連として活躍するだけでなく、映画俳優としても「魔界転生」や
「夢二」などで活躍している沢田研二さんの初主演映画が「太陽を盗んだ男」
という映画で、公開時よりも評価が高くなっている珍しい映画です。
【文中敬称略】古い映画なのでネタバレしています。
当時、歌手として一年間以上のスケジュールが埋まっていた沢田研二を主役に
立てて、映画俳優として超一流の菅原文太をその相手役として起用した映画で
中学校の理科教師が原子爆弾を作って日本政府を脅迫するというアナーキーな
内容のためテレビ放映はされていないんじゃないのかな?
東宝映画ということになっていますが、実際に製作したのはキティレコードの
社長の多賀英典氏が設立したキティフィルムが、山本又一郎プロデューサーの
指揮の下で製作された映画で、東宝は配給を担当しています。
授業の態度が悪く(生徒ではなく教師の方)生徒からもヘンな人扱いをされて
いる理科教師の城戸誠【沢田研二】は老人の姿に変装して交番を襲い、警官を
失神させて拳銃を奪い、その拳銃を使って原発を襲撃、プルトニウムを強奪し
アパートの自分の部屋でプルトニウムを加工して原爆を完成させます。
原爆を作った時に削り取ったプルトニウムの破片を警察に送り付け、原子爆弾
を所有していることをアピールして、日本政府・警察との交渉を開始し、交渉
の相手として、生徒と共にバスジャック事件に遭った際に事件を担当した刑事
山下警部【菅良文太】を指名します。
まず手始めに、プロ野球中継の放送延長を要求し、それが実現したことにより
大きな交渉力を得たことを喜ぶものの、その次になにを要求するのかに迷った
城戸は、ラジオパーソナリティーの沢井零子【池上季実子】の番組にリスナー
として電話をかけ、リスナーに対しどんな要求をして欲しいかを聞いてもらう
ものの、リスナーは本気では受け取らないために、たいした要求は出ず、結局
は沢井零子の提案でローリングストーンズの日本公演を日本武道館で実施する
ことを要求することにします。
沢井零子がラジオでは「ゼロ」を名乗っているため、城戸は自分の名前は9番
だと言います。(当時の核兵器保有国は8カ国だったため、核兵器を保有した
9番目の存在としての9番です。映画の中で説明されています。)
さらに原爆製造資金を借りたサラ金からの取り立てに窮し、現金五億円を要求
したものの逆探知によって追い詰められ、用意させた五億円をビルの屋上から
ばら撒かせて、人々が混乱する好きに乗じて脱出には成功しますが、脱出成功
の交換条件として原爆が警察の手に渡ります。
警察が起爆装置の解除作業をしている現場に突入した城戸は、原爆を奪還して
車で逃走、途中で乗り込んだ沢井零子と共に警察の追跡を振り切りますが運転
を誤って車が転がり、助手席の沢井零子は死亡し、最期を看取った城戸は再び
原爆の起爆装置をセットして武道館に向かいます。
武道館の近くのビルの屋上で、山下警部と会った城戸は山下警部の拳銃を奪い
手錠をかけたものの、ローリングストーンズ公演は罠であることを聞いた城戸
は山下警部に発砲し、数発の銃弾を受けた山下警部は、城戸を抱き抱えたまま
ビルの屋上から転落して、城戸を道連れにしようとしますが、落下する途中で
電線に引っかかった城戸は生き残り、転落死した山下警部を一瞥した後、原爆
の入ったカバンを持ったまま都心の繁華街を歩きます。
プルトニウム精製の際に居眠りをして小爆発を起こした際に被爆していたため
髪の毛に触れる度に髪が抜け、死期が近いことを悟っている城戸は原子爆弾の
起爆装置を30分後にセットしたままで歩いています。
時計の秒針が時を刻み、30分が経過と同時に映画は終わります。
興行的には失敗しましたが、日本映画の「正義は必ず、悪に勝つ」という定石
をひっくり返した映画が出たことで、個人的には凄い映画だと思いました。
作品中で原爆の作り方をレクチャーしたり、犯罪を肯定的に描いている部分も
あったり、ビルから一万円札をばら撒くシーンもあるので、テレビ放映は無理
だろうなという部分は多分にありますが、そもそもテレビドラマでは表現する
ことが難しい社会の風刺とか、社会に対する怒りの部分を表現することも映画
の使命の一つであるとあると思うので、こういう映画は好きです。
公開された時よりも、何十年も経ってから評価が上がる映画というのは見方を
変えれば時代を先取りしていたとも言えるし、歴史の中で評価の論点が変わり
映画の内容についての許容量が増えたとも言えるわけで、映画を観る側の視野
が広くなったという意味でもあると思いますので、それは歓迎されるべきこと
ではないかと思っています。観たことのない人は是非観て欲しい作品です。
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